8/07/2015

サラダボウルというよりサラダバー

ニューヨークは人種のサラダボウル

そんな風に昔からよく言われるけど、実際ここにいてみて、なんか違和感。

ニューヨークは、遠目から見れば、多くの異なる人種・文化・宗教・バックグラウンド等(それぞれの野菜)が個々の存在を残しつつ一つのボウルに入ったサラダのようだというのが人種のサラダボウルという解釈。

しかし、実際にニューヨークにはサラダボウルが個別にいくつもあって、結局一つのボウルには納まっていない気がするのだ。

サラダ サラダ。。。シーザー サラダもあれば、ニコワーズ サラダもコブ サラダもある。メキシカン、タイ、グリークなどのエスニックな名のついたサラダもあれば、ケールだけのサラダのようなやったらヘルシー志向なサラダ、キヌア サラダのような新しいサラダもある。

そんな多様なサラダ市場と同様、ニューヨークには多くのサラダボウル(コミュニティのようなもの)が存在する気がするのだ。それは人種に限らず、学歴、学校、専門性、キャリア、社会的階層、などなど、様々な要素に基づく。

そして多くの人はそれぞれ、複数のサラダボウルに所属しているのも事実。更に、所属サラダボウルの数を増やす=ネットワーキングにもぬかりがない

「xxサラダかyyサラダが美味しいよ。zzサラダは身体に悪いから食べない。(xxコミュニティかyyコミュニティが好き。zzコミュニティは私には合わない。)」

「最近こんな新しいサラダを見つけたよ。ホット!(最近こんな人たちの集まりを見つけたよ。ここに属したい。)」

って感じの社会。様々なコミュニティが存在する。

誰しも、ニューヨークに降り立った時点でニューヨークという全体の人種のサラダボウルに属するとする。そしてそこから時間を経るごとに、個別のサラダボウルを探しを始めたり、属したり、いずれはそこから脱したりする。

ふと気づいた。ニューヨークはサラダボウルじゃない、サラダバーじゃん!


courtesy of sweet green

ニューヨークに多い、自分の好きな野菜、トッピング、ドレッシングを選んで自分のサラダを作る、サラダバー。もはや多様性が豊富過ぎるニューヨーク全体がサラダバーのようなもので、そこから自分たちでサラダボウル(コミュニティのようなもの)をその都度作り上げている。

更に更に、そこから思うのは、ニューヨークのおしゃれサラダバーでランチを食べるとしたら、ただのプラスチックの容器にボンボン野菜を入れてトッピングやドレッシングと和えるだけなのに、だいたい最低でも$10はする。そこにコールドプレスのジュースなんかつけたら、カジュアルなランチにも関わらずタックス込みで$20くらいになる。

そんなサラダ、普通のようにみんな食べているように見えるが、実際に全員がそれを頻繁に買えるわけではない。オーガニックだとかユニークなドレッシングだとか、言ってる場合じゃない人たちも山ほどいる。

サラダバー社会に手が届く人と届かない人がいるような構造ということだ。階層別にサラダバーがあるということ?というよりは、そのサラダバーに届かない人たちは、自分たちで持ってきた野菜をオフィスでサラダにして食べている。

サラダバーか自前サラダか

そしてその上で、どの種類のサラダボウルか

といった感じ。

サラダ サラダ。。。もはやサラダとタイプし続け過ぎてなんだか不思議な言葉に思えてすらきたが、サラダの話をしているわけではない。とはいえ、私はサラダバー派?何サラダ派?そんなこと考えるまでもない、ナンセンスなことなのに、ここでの生活は結構そんな感じなのが現実だ。

家で作る、自分だけのサラダが一番美味しい。好きなものを好きな方法で好きなだけ入れる。サラダバー社会だかサラダボウル社会だか、そんなものより、自分のサラダボウルから好きなものを頬張っている方がずっと気が楽。

ニューヨークは疲れる街だ。(※好きだけど。)


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